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君の名は。


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前回の記事から勢い込んで観に行ったくせに、書くのは遅くなってしまいました。

というわけで今更のアップです。

※以下、ネタバレしています!



まず結論というか、今作に対しての正直な気持ちを書いておきます。

期待しすぎた……


あ、いや!誤解なきように付け加えると、スゲー面白かったんですよ。

大ヒットしていて、なおかつ観客に愛されている現状も当然の出来栄えだと思う。
「新海誠の最高傑作!」「監督の集大成!」
といった世評も頷けます。

前回の「言の葉の庭」に続いて、新海監督がクリエイターとしての新しいステージに立っていることは疑いようがない。

抑制を覚えた映像センスや観客に優しい(万人向けの)編集テンポなどを前作から引き継いでいるどころか、今作はもはや活劇とも称すべき、躍動感溢れる一大エンターテイメントに仕上がっているのだから、才能の爆発という他ないでしょう。
(アニメに疎い管理人でも知ってるくらいの高名なアニメーター達の参加も大きいと思いますが)

世間では作中の仕掛けや設定、タイムパラドックスおよびその展開に対する矛盾を指摘する声も多いようですが、自分はこの作品、それらの部分こそがスゴいと思いました。

確かに、管理人のようなバカでも、突っ込みたいところはある。
「いくらなんでも3年のズレは気づくだろう」とか「夢およびそれに対する記憶の設定が都合良すぎ!」とか「このキャラの動かし方は少々強引では」とか……

でもこれ、観てる最中はほとんど気にならないんです。少なくとも自分はそうでした。
なんだかんだと言われていても、総体としては世評も同様ではないでしょうか?
これは、ストーリーテリングが非常に優れているからでしょう。

今作の設定や伏線は全て、作中のクライマックス――二人が起こす奇跡のために構築され、収束していきます。

冒頭で雪野さんが読み上げる「かはたれどき」をはじめとして、本作ではあらゆる要素――登場するアイテムや映し出される風景――に「暗喩」や「意味」が託され、物語を補強しています。
特に重要でわかりやすいのは「組紐」でしょうが、監督伝家の宝刀である「空」や「光」の表現も相変わらず見事なもので……いや、それどころかよりダイナミックな形で描かれ、今まで以上の効果を上げていました。
それと、監督はいつも「隔てられた男女」を描いている。と、前の記事にも書きましたが、今作ではモロ象徴的に「扉」を開け閉めするカットが反復されます。

これらのイメジャリーはいずれも、全編そこかしこに周到に配置されており、しかもそれらを活劇的なテンポの良さと勢いで描写&回収していくので、観客が余計なことを考える隙間を与えずに物語に集中させ、心を動かすことに成功している……と、思う。
(例えば、よくよく考えれば強引な部分もあるタイムパラドックスに関しても、中盤それが判明する「瞬間」が衝撃的に見えるよう、あらゆる手管を尽くして設計されているから、観客はメインの二人に感情移入できるし、クライマックスで二人が「結ばれる」ときの感動を享受することができる)

さらに言うなら設定――および展開の理屈付けをちゃんとやろうとしているところも素晴らしい。
例えば「なぜ二人は入れ替わるのか?」という、ほかの作品なら「細けぇこたァいいんだよ!」と、あくまで前提として済ませてしまいそうな部分にも、宮水(三葉)の家業を丁寧に描写することによって、物語上での理屈付けを、ちゃんとやろうとしている。
(思えば、ポエム全開の「雲の向こう、約束の場所」でも、SF設定への理屈付けはちゃんとやろうとしてしましたね。)

こういったエンタメ作品の場合、実際に理屈が通っているのか(整合性が取れているか)どうかはそれほど重要ではない。と、自分は思います。
重要なのは、物語上での説得力を持たせ、なおかつエンタメとしての演出や勢いを削がないことだと思うからです。

あくまで推測ですが、今作の「強引さ」や「ご都合主義」は不出来なのではなく、作り手が取捨選択をした結果なのだと思います。

何もかもを台詞で説明して「万人向けのわかりやすさ」を勝ち取ろうとした細田監督の「バケモノの子」より、今作のアプローチの方が映画として、エンターテインメントとして、圧倒的に正しい。

これらが成功しているからこその大ヒット&絶賛の嵐ではないでしょうか。

瀧くんが三葉ちゃんに避難計画を話すときの台詞(音声)や、三葉ちゃんが親父を説得する実際のシーンをカットしたのも、個人的には英断だと思いました。

エンタメというと、これも重要なのがキャラクター……とりわけ主人公とヒロインの魅力が不可欠なわけですが、今作はここも成功していると思います。
二人とも、繊細と爽やかさを併せ持った、誰が見ても好感の持てる少年少女として描かれているので。
今までの新海作品には無かった多彩な表情の数々、キャラの心情を代弁する映像や「動き」の素晴らしさ、何よりウジウジモノローグが無いことも大きい(笑)
ただ二人ともアウトサイダー同士ではないぶん個人的な感情移入度はそこまでではなかったですが。
とはいえ、エピローグのすれ違いでは、自分も二人の幸せを願ってたので文句は言いません(笑)
(声優に関してもほぼ違和感なしで見れました。神木くんも長澤まさみも確実に上手くなってる……とはいえ、本職声優として比較して、特別持ち上げるほど良い演技だとは思えないけど。

で、こっから本題。
「期待しすぎた」と感じた自分なりの理由に関して。

さんざん書いてきたとおり、褒めるところはたくさんある作品なのですが、
以下に上げる3つの理由から、私はハマりきれませんでした。

1.期待値が高すぎた
「そのまんまじゃねぇか」と突っ込まれそうですが、観る前のハードルがホントに高かったのですよ。
周囲の評判と興行成績、予習のつもりで見た前作「言の葉の庭」に感動したこともあって、「点数で言えば90点は固いだろうな。これは見終わったあとは即レビュー書かなきゃ」と皮算用してたら結果は85点だった……みたいな。
もうちょい具体的に書くと、映画およびアニメーションならではの「圧倒的な視覚体験」が感じられなかったのが自分としては物足りなかった。
これだけ持ち上げられているのなら、今まで見たこともないようなとてつもない映像――センスオブワンダーがあると半ば思い込んでいたんです。
もちろん「ナウシカ」の腐海の森とか「ファンタスティック・プラネット」のようなシュールな世界観や生物とか、あそこまで極端なビジュアルは望まないまでも、震えが走るようなカットが無かったのは残念だった。
クライマックス、山頂で二人が初めて本当の意味で「出会う」シークエンスは、そこまでの描写や演出を含めた「画」としても本当に素晴らしいんですけどね……でも期待していたレベルには……
(ただ、3.11を意識したであろう糸守町避難シークエンス――三葉とテッシが街のみんなに呼びかけるところでは涙を堪えられなかった……当時の、あの津波の映像を見たときの心の叫び、もう本当にひたすら心の中で「逃げてー!」としか言えなかった心境と重なってしまって……)

2.RADWIMPSがうるせぇ
ファンの方には申し訳ないけど、本当にクドかった。勘弁して欲しい。
クライマックスで挿入された時には思わず座席で見悶えました。
いや、曲は悪くないと思うんですよ。劇中のBGMなんかはむしろ良い。
ただね、映像で十分語られているのに、そこにその上から本編内容とマッチした歌詞を流されると本当にうるさいんですよ。
過剰!台無し! 

3.ラブストーリーとして不出来
これは重要なシーンでの感動を削がれたという意味で2.にも通じるんですが、自分の中では一番デカい欠点かも。
「二人の幸せを願った」と書いておきながらこう評するのは矛盾に思えるかもしれませんが、それとこれとは別の問題として捉えています。

今作で最大の感動を呼び起こす(ように設計されている)であろう、ストーリー的にもドラマ的にもクライマックスである、三葉ちゃんが自分の掌の文字を「見つける」シーン……

そのとき自分の心で浮かんだ言葉は「え?そこまで好きだったの?いつから?」でした。あと曲がうるせぇ
「二人がお互いに対して『恋心』を抱くような描写ってあったっけ?足りなくないか?」とモヤモヤ。

要は「『好きになった瞬間』が描けていないのでは?」と思ったわけです。

いや、もちろん「それらしい」描写はいくつかちゃんとあるんですよ。
二人が目覚めた時に流すそれぞれの涙であるとか、奥寺先輩の台詞であるとか、終盤で明示される電車での出会いのシーンであるとか……そもそもド突き合いで互いを意識し合うのは少女漫画でもよく描かれる王道のパターンだし(今作で言えば『あの女(男)はー!』に象徴される入れ替わりシークエンス)、もっと言えば人が恋をするのに理由なんてないわけだし、まあ呑み込めなくはない。

でも、セカイ系の作品で、主人公とヒロインに『恋心』が芽生える決定的な描写や瞬間が無いのって、何気に致命的じゃないか?
二人の想いが外的な奇跡を起こす作品なんだからさ。

今作のエンターテインメントとしての出来の良さとストーリーテリングの巧さを、この記事でも前半で散々褒め倒してきたわけですが、そのジェットコースターばりの勢いの良さと緩急の巧さが、重要な部分――瀧くんと三葉ちゃんの、相手に対する想いと心の機微の描写――をスポイルしてしまったように思えてならないのです。

手前味噌で大変恐縮なのですが、「言の葉の庭」の拙評で管理人は、男女が真に結ばれることを「魂と肉体を受け入れる」という言葉で表現しました。
この場合の『魂』とは、その人の内奥に秘められた思いや感情、
『肉体』とは、その人の身体そのもの。もしくはその身体性に基づく生々しい思いや感情のことです。
(……うまく言葉にできているかは不安ですが、そういった意味合いで書きました。
要は二つとも「人間にとって、切っても切り離せない切実な想いを伴ったモノ」という自分なりの定義です)

「言の葉の庭」の二人は、魂も肉体も互いに晒け出し、また受け入れた(加えて言うなら映像面でもそれらのことが表現されていた)からこそ、あのラストシーンに自分は感動しました。

その点「君の名は。」の二人はどうか。
SF・ファンタジー的な設定が盛り込まれているため、クライマックス時のシチューエションは非常に特殊で、
「出会い……および『邂逅』を二度(電車と山頂にて)果たしていて、互いに『肉体』を数回共有したこともある」という、わりとこんがらがった状態。
とはいえ前述のとおり、本作は設定の説明と伏線の回収に忙しくなりそうなこの難しいところを見事に捌いているので、観客はスムーズに二人を見守ることできる。
二人の内面とその変遷の描写も忘れられてはいない。互いに「好意」を抱いていることは十分わかる。
でも、だからこそ、二人が互いの『魂』に触れ、惹かれてしまう決定的なシーン……もしくはその瞬間を描くべきだったと思うんです。

目覚めたときにふと自分の気持ちに気づいて涙を流す……ではなくて、相手の仕草や思い(それは携帯の画面を通したものでだっていい)を見つめたうえで、心が動いた――『恋心』が芽生えた――瞬間を捉えて、映し出して欲しかった。

(加えて言うならこの「涙」、宮水家の不思議な能力の設定(シンクロや予知?)があるせいか、「『恋心』の気づき」ではなく「自分(相手)の死を悟った喪失感」とも取れる、要は代わりの効く描写であるのも痛い。)

1シーン……いや1カットだけでも決定的な描写があれば……!

せめて瀧くん→三葉ちゃんの視点からだけでも……!

……もしくは山頂のシークエンス見直したら、印象変わったりすんのかなー……

というわけで世評とのギャップを差し引いても、個人的には、なんともアンビバレントでもどかしい気持ちを抱く作品となってしまいました。
とても情報量の多い作品なので、もっかい見ればまた違った見方もできるかもしれませんが、今のところ、自分の新海作品ベストは未だ「言の葉の庭」と「星を追う子ども」です。
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プロフィール

クロサキ

Author:クロサキ
クロサキといいます。以前はmorganeと名乗っておりました。
なんてこたーない自堕落な日常を綴っています。
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