イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密

imitation game
             
時として誰も想像しないような人物が、想像できない偉業を成し遂げる

劇中、前向きに語られる、ある人の発したこの言葉。
平易な言葉ですが、人は何を持ってヒトを「誰も想像しないような人物」と見るのか――映画を見終わったあとに思い返すと、身に迫って突きつけられます。

この『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』は、実話をもとにしたサスペンタッチの伝記ドラマ。
第二次大戦中のイギリス、解読不可能と言われたナチス・ドイツのローター式暗号機「エニグマ」へと取り組み、解読へと至った天才数学者アラン・チューリングの半生を描いています。
アカデミー賞では作品賞含む8部門にノミネートされ、脚色賞を受賞。
米国最大の映画批評サイトRotten Tomatoesでは批評家・観客ともに90%もの支持で、超高評価を獲得。
興行面でも、全国での収益は制作費に比して20倍以上の業績を打ち立て、2014年に公開されたインディペンデント映画では最大のヒットとなっています。

完全に私事でアレなのですが、最近は金銭面での問題から映画館での鑑賞を控えておりまして……いま日本ではアカデミー賞関連作が続々公開されているため、毎日歯がゆい思いで過ごしています。
ただ今作に関しては、世間的な評判に加えて、いつも信頼している批評家・ブロガーの方々からの評価もかなりのものだった――それも、それぞれに嗜好がバラバラな方たちが一致して高評価していた――ので、コレばっかりは劇場へ出向くべきだと思った次第です。

結果としては、予想通り(期待通り)の傑作クオリティだったというだけでなく、個人的にもとても大事な……ものすごく愛おしい作品となってしまいました。
今年暫定ベスト1……というより、オールタイムベスト級。

以下、内容に触れています。
本作は実話を基にした映画ですが、エンターテインメントとしても素晴らしいので、前情報なしに観ることをオススメします。

観る前の自分の印象は、宣伝されているとおりの「サスペンタッチの伝記ドラマ」。
コンピュータの基礎を築き、人工知能の理論を(それが無い時代に!)考案し確立した偉人のアラン・チューリングが、戦争時にナチス・ドイツの暗号解読を行っていた。
しかし彼(ら)の功績は極秘とされ、約50年経った最近になってはじめて公表された。
そしてチューリングは戦争終結後に謎の死を遂げてしまっている……
という、賞レース下馬評からの拾い読みと、町山智浩さんがラジオで紹介されていた部分の内容しか知らなかったので、チューリングのある秘密が中盤に明かされたときには純粋にビックリした。


この映画は、時系列において少し変則的な構成をとっている。
戦争終結後のマンチェスターからはじまり、戦時中のブレッチリー・パーク、そしてチューリングが十代の学生だった頃と、三つの時を行き来しながら語られていく。
正直、最初の場面転換のときには「ちょっと唐突じゃない?」と思ったのだが、この構成は最後に、思いもよらぬ形で結実することになる。

中心となるのは戦時中の時系列。
戦時中、チューリングはイギリス軍に雇われ、ブレッチリー・パークにて同じくイギリス中から集められた解読者数人とチームを組み、エニグマ解読に当たっていた。
しかし、頭が良すぎるのか、今までの環境がそうさせているのか、人付き合いが絶望的に下手なチューリングは、組織の中で孤立してゆく。
それを救ったのは、ジョーン・クラーク。
優秀な数学者であるのに、女性差別(当時のイギリスの男尊女卑は、映画を見る限り本当にヒドい)により不当な扱いを受けていた彼女を、チューリングは自身の面接によって見出し、世間的な差別に囚われることなくチームに招いた。
あくまで自分のやり方を通そうとするチューリングに対して、ジョーンは「一人でエニグマへは立ち向かえない。周りの人の助けが必要よ」と、他人に好かれる努力・理解してもらうための努力をするように諭し、自らもあいだに立って協力する。

理解を得られない上司から妨害されたり、二重スパイの疑惑をかけられたりと、他にも様々な障害を乗り越えつつ、ついにチームはエニグマの解読に成功する。
しかし、解読して得た情報をそのまま戦局に活かせば、すぐにドイツ側へそのことがバレてしまう……
だからチューリング達、ひいてはイギリス軍は、掴んだ情報の一部分だけ活用することになる。つまり、世界の戦況をバレないようにコントロールするのだ。
このエニグマの解読によって、戦争は2年ほど早く終わったと言われている。
しかし、その「コントロール」の裏では数えれきれないほどの人間が命を落としている。
自国民がどの様に攻撃され、どのぐらいの数の犠牲者が出るのかを知りながら、何度も見殺しにするしかない……想像することさえ躊躇われる、非情な重責だ。
「何様のつもりなんだ?」
兄を見殺しにすることを強いられ、解読メンバーのピーターは、リーダーであるチューリングを責めずにはいられない。
数え切れないほど沢山の命を、世界の命運を、その手に握りコントロールする者は、神か、それとも悪魔か。
チューリングは答える。
「ほかに誰も、できるものがいないからだ」

史実を的確に織り交ぜつつも緩急の効いた展開、スリリングな演出、人物の魅力。
いちエンターテインメントとしても、自分が最初に持っていた印象――サスペンスタッチの歴史ドラマとしても一級品の出来栄えだが、それだけの映画ではない。
映し出される物語は、マイノリティの孤独、組織での軋轢、コミュニーケーションの重要性と難しさ、秘密を持つことの意味など、様々な問題へと言及し、何気ないセリフの端々にも示唆やウィットが滲んでいる。映像や美術も美しい。もちろん役者陣の演技も最高レベルだ。
そして、あまりにも混沌として重いトピックの数々からは、フィクションでは表現することの難しい現実世界の時代のうねりも否応なしに迫ってくる。
これらの要素が過不足なくまとまり、重層性のある、あらゆる意味で豊かな作品に仕上がっている凄まじさ。

そして、クライマックスで明かされる真実――

前述のとおり、この映画は三つの時系列が並行して語られてゆく。

学生時代、少年の時分からアランは周囲に馴染めず、いつもひとりぼっちだった。いじめっ子の理不尽な暴力にさらされる日々。
そんな彼を救い出してくれた少年がいた。同級生のクリストファー。賢くて優しい、孤独なアランのたったひとりのともだち。暗号解読の本を勧めてくれ、道を開いてくれたのも彼だった。
アランは後に、自身の暗号解読機にクリストファーと名付けている。

戦争終結後の1951年。チューリングの自宅に泥棒が入り、警察の捜査が入る。映画の冒頭だ。
このことがきっかけで、チューリングは同性愛者であることを世間に暴かれてしまう。
当時のイギリスでは、同性愛者はその嗜好を生まれ持っているだけで違法とされている。逮捕は避けられなかった。

そして、そう、アランがクリストファーへと抱いていたのは、友情だけではなかった。
いつも二人で遊んでいた暗号で、彼への想いを紙片に書きつけるアラン。休み明けで寄宿舎へ戻ってくる生徒たちを迎えに出る。
しかし、クリストファーが戻ってくることはなかった。
クリストファーの友人として校長室へ呼び出されたアランは、彼が結核で亡くなったことを知らされる
知らなかった。たったひとりの友達だったのに。愛する人のことだったのに……

映画の終盤、チューリングの自宅へジョーンが訪ねてくる。戦争終結後の時系列の続きだ。
チューリングは逮捕されたものの、投獄されてはいなかった。その代わりにある処置を受けている。
「医学的去勢」 女性ホルモンを注射し、性欲を減退させる「治療」だという。
あまりの横暴にジョーンは憤り、チューリングへ救いの手を差し伸べようとする。しかし、当の彼はやけにあっさりとしていた。
「いいんだよ。投獄されてしまったら、二年間も研究できなくなる」
ジョーンを背に、研究室へと足を踏み入れるチューリング。
「――私からクリストファーを奪わないでくれ」
そう言って、チューリングは「クリストファー」のコードを愛おしそうに撫でる……
この瞬間に浮かび上がる真実、切ないと言うにはあまりに悲愴な真実に、筆者は嗚咽をこらえることができなかった

アランにとって暗号解読は、生きがいであり、クリストファーとの絆の象徴でもあった。真相を知らせずにこの世を去ってしまった彼を、なおも理解しようとするための手段だった。
愛しい人の去ったこの世界で、このひとりぼっちの世界で、寄り添える相手はクリストファーしかいなかった。あの日からずっと、アランは愛する人の幻影と共に生きていた。あらゆる意味で、彼を生かし続けようとしていた。
ジョーンの前で、アランはむき出しに号泣する。
「独りはイヤだ。私を独りにしないでくれ」
自分の中に秘密を持ち、世界にも秘密を持ち、数少ない友人にさえ本当の悩みを打ち明けられず、生涯にわたって心を開ける相手を持つことを許されなかったアランの孤独。
こんな悲しい映画を、自分は知らない。
アランは座り込んで、寂しげつぶやく。ジョーンに向かって。
「君はすべて手に入れたな。普通の幸せな暮らしを……」
ジョーンはアランを強く、しっかりと見つめる。
「私は今日、死んでいたかもしれない男から切符を買って、消滅したかもしれない街の電車に乗ってここまで来たわ。
もしもあなたが普通を望んだとしても、私は絶対にお断り。
あなたが普通じゃないからこそ、世界はこんなにも素晴らしい」

筆者は、あまりにも苛烈な運命を被ったアランに涙しつつも、感傷に浸ってはいけないとも感じていた。
彼から多大な恩恵を受けて裕福に回り続けている世界に住まいながら、今日まで彼を知らずにいた自分に、そんな資格はない。
彼を追い詰めたのは特定の個人ではなく、彼に秘密を強いた国や組織だったが、それを構成しているのはひとりひとりの人間であることは言うまでもない。
戦後50年以上経って彼に恩赦が与えられたというテロップがラストシーンに被さる。あの美しい映像に魅せられつつ、ホッとする同時に怒りもこみ上げてきてしまった。遅すぎる……

物語や創作物を生きがいにしている身としては、題材の意義でそれらを峻別することはしたくないし、今作はあくまで「事実を基にした」劇映画だ。
……そして、戦争や悲劇によってもたらされる心の痛みが、偉大な発明や芸術を生むこともまた事実かもしれない。
しかし、あえて言いたい。
この『イミテーション・ゲーム』は「面白い」とか「泣ける」とかいった言葉で括ってはいけない、いっときの消費としてはならない物語だ。
「しょせん映画」と軽んじず、残された我々に何ができるのか――多くの人々が真剣に考えるための起点とするに足る、まぎれもない名作である。
アラン・チューリングという偉人の伝記を、このような素晴らしいかたちで作り上げたスタッフ・キャストたちに、いち観客として最大の賛辞を捧げたい。


ここまで書かなかったけれど、投獄寸前のチューリングとロニー・キニア演じる刑事との尋問室でのやり取り――タイトルにもなっている「イミテーション・ゲーム」(チューリングテスト)への言及も、作品のキーだ。
幻影と前述したが、チューリングは無意識下で、機械によってクリストファーその人を蘇らせたいという願いを持っていたのかもしれない。
でもそれは本当に「クリストファー」といえるのだろうか?
「違うふうに考えるというのは、考えると言えるのか?」
チューリングは機械(人工知能)と人間の違いだけでなく、人間同士の他者性にまで言及し、持論を語る。
人工知能が完成形したとして、それは人間と近しい物とみなしてよいのか。
人が人(他人)を理解するというのはどういうことなのか。
戦時中、同性愛者だから結婚はできないと告げるチューリングに、ジョーンは言った。
「私たちのやり方でやればいい。それでお互いをよく理解できるのなら、普通の夫婦である必要なんてない」
社会は個人に、求められる役割を演じること(元ある概念に追従し模倣すること)を強いて、そこから逸脱したものを迫害するが、チューリングの考案したテストによれば、模倣にすぎない知能は「機械」とみなされ、独自に思考する知能は「人間」だとみなされる。
迫害されたチューリング自身が提唱した理論で浮かび上がるのは、世の理か。それとも皮肉なパラドックスか。
それは、文明社会に生きる人間全てが抱えていかなければならない課題だ。
けれど、頭の悪い自分でも、チューリングの問いには答えられる。
「私は機械か? それとも人間か?」
あなたが切り開いてくれた後生を生きているからこそ答えられる。
あなたは人間だと。
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Author:クロサキ
クロサキといいます。以前はmorganeと名乗っておりました。
なんてこたーない自堕落な日常を綴っています。
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