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回路

『回路』

回路 デラックス版 [DVD]回路 デラックス版 [DVD]
(2001/08/24)
加藤晴彦、麻生久美子 他

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黒沢清監督作品を初鑑賞。
『リング』のようなノリを予想して観たら、人間の孤独と実存的な恐怖を描いた哲学的な秀作でした。

あらすじ:
園芸店で働くミチは、無断欠勤した同僚の男性の家を訪ねるが、部屋にいた男性は一見普段と変わりないように見えながら、ミチが目を離した一瞬の隙に首を吊って自殺してしまう。やがて彼女の周囲の人間は次々と姿を消していき……。一方、大学生の亮介はインターネットを見ているうち、奇妙なサイトにたどり着く。不気味な物を感じた彼はあわてて接続を切り、情報処理センターで知り合った女子学生の春江に相談を持ちかけるが……。

WOWOWオンラインより

※以下、作品の内容に触れています。
今更初見って、ホラー映画好きとしてどうなのって感じですが、個人的にホラー映画に求めてるものって、幽霊とか怨念とかよりも、殺人鬼とか怪物とか血みどろスプラッターなので、日本のホラーって実際あまり観てないんです。

幽霊映画は自分にとって、めちゃくちゃ怖いか、付き合いきれないくらい馬鹿馬鹿しいか、どっちかなんですよね。
あの日本特有の陰湿な黴臭い雰囲気や、神経にジワジワくる怖さを表現できているような完成度の高い作品だと、本当に怖くて耐え難いし、演出や音響がお粗末な完成度の低い作品だと『死霊の盆踊り』より付き合いきれない。
ようは、どっちも観ていられないw

で、この『回路』はというと・・・前半はすごく怖い。
自分の身の回りの人々が、次々と自殺していく。
生前の彼らには「インターネット」「黒い染み」「赤いテープで目張りされた扉」といった不気味な共通点が・・・
前述した日本ホラー独特の陰湿な雰囲気やじわじわ来る怖さに加え、生理的な恐怖の演出にも成功しています。
いいようのない寒気を覚える人型の黒い染み、飛び降り自殺を遠景1カットで捉えるカメラ、巧みに編集された音楽(羽毛田丈史が担当。女性コーラスも使われていて、クレジットにはなんと上野洋子さんのお名前が!)。
いずれも思い出しただけでゾクっとさせられる。
特に序盤の、妙な動きで迫ってくる幽霊の演出は白眉で・・・夜中に見始めたことを後悔させられましたw

ところが後半からは、少し趣が違ってくる。
展開自体はそう変わらない。それどころか作中の恐怖は拡大して、遂には世界を覆ってしまう。
終盤近くに描かれる閑散とした東京の荒廃や終末感は、ジョージ・A・ロメロ監督の『ゾンビ/DAWN of the DEAD』を連想させる(というか、プロット自体が『ゾンビ』によく似ている)。
何がどう違ってくるのか。
前半で描かれた恐怖や伏線が、物語の終わりに進むにつれ自然に活かされ、今作を「作品」としてブラッシュアップしていくんです。


作中に発生している現象やその原因は、作中では決定的には説明されない。
しかし、武田真治演じるキャラクターが、一つの仮説として、曖昧ながらも説明するセリフがある。
要約すると、
「死後の世界が満杯になって溢れ出した幽霊が、ネット回線を介して人間社会を侵略し、生きた人間を取り殺す(もしくは自殺させる)」
ということで、それ自体に特に意外性はないのですが、ありふれたように見える設定の中に、様々な示唆を含んでいて、それが後半になって活きてくる。

前半の、周りの人たちが次々と死んでいくというサスペンス的なプロットや、幽霊やあかずの間を使った恐怖演出はなりを潜め、後半は、それらに付随して描かれていた要素(インターネットや、作中の大学生が作ったコンピュータシミュレーションなど)が活かされ、登場人物たちの内面を掘り下げていくという体裁をとっている。

今作は、麻生久美子演じるミチと、加藤晴彦演じる川島を主人公として、二人のエピソードがそれぞれ並行して描かれ、終盤になって収斂していくという形をとっている。
その中でも、様々な意味でキーとなるキャラクターが、川島のエピソードに登場する、小雪演じる春江というキャラクターだと思う。
川島の大学の同級生。ということ以外、具体的な背景や生い立ちが描かれないキャラクターだけど(というか思い返してみると、この映画の登場人物達はみんなそうだけど)、彼女が「孤独」を抱えていることは、演技でも台詞でも、何度も強調される。

中でも重要だと思うのが、中盤での川島とのやり取り。

「死んだらどうなるんだろうって、小さい頃からいつも考えてたの。ずっと一人だったし」
「親とか兄妹は?」
「いるよ。でも関係ない」

様々な怪異に登場人物たちが怯える。という前半の表面的な恐怖の段階を超え、
「人間も幽霊と同じで、他者(世界)と決定的に繋がることのできない孤独な存在」
という作品の前提が示される象徴的なシーン。
この人生観は、春江の独りよがりな思い込みではなく、誰もが現実に抱えている真理でもある。

2つの点があまり接近しすぎると死んじゃうし、
あんまり離れすぎると近づこうとするようにプログラムされているの


だから、この映画が描いている恐怖というのは、死後の世界から溢れ出した幽霊に取り殺されることじゃない。
「死」という事象によって浮き彫りにされる「永遠の孤独」こそ、この作品の描いている恐怖だ。
死後の世界に対する「未知への恐怖」をも内包し、飲み込んでしまう圧倒的なもの。
それは「黒い染み」として表現される。
松尾政信演じる矢部が、倉庫の中、麻生久美子演じるミチが立ち去った後も、黒い染みとして永遠に助けを呼び続けるシークエンスは、恐ろしくも悲しい、孤独の映像表現として、映画史に記憶されるべきだろう。


・・・作中で描かれるいくつもの黒い染みを見ていると、単なる恐怖や悲しさだけでない、実存的な不安さえ感じられてくる。
そもそも人間とは、自己とは、他者とは、記憶とは、一体どれほど確かなものなのか。という、自分の足元がおぼつかなくなるような感覚。
そして、確かだとして、どれほどの価値があるものなのか。という疑問。
フィリップ・K・ディックの小説郡や、パリ万博事件。これらから派生した映画たち(『バルカン超特急』『ブレードランナー』『トータル・リコール』『フライトプラン』『フォーガットン』『インセプション』などなど)が繰り返し描いてきたもの・・・
これらはあくまで都市伝説やフィクションだが、近年までこういった作品が作り続けられているのには理由があると思う。
周囲の記憶や書類、記憶。自分という存在を認識させ形作っているもの。そのどれか一つでも偽りだったとしたら?
自分は確実にこの世に存在していると証明できるものは何だ?
そもそも、自分とは、世界とは?
人間とは、周囲の記憶と書類無しには、自らの存在を立証できない、不確かな存在なのだ。
ネットやメディアの開発が進み、コミュニケーションの手段が多様になればなるほど、バーチャルとリアルの境目が希薄になり、本物と偽物の定義さえ曖昧になる。

(これらの題材に関して、映画評論家の町山智浩さんが、著作でとても素晴らしい文章を書かれているので、是非とも読んでいただきたいです。)

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町山 智浩

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作中にて、ある人物の「染み」が、文字通り風に吹かれて飛んでいってしまうシーンがある。
人間一人ひとりの存在にどれほどの重さがあるのだろう?

自分のような、メディアやITに関する教養がほとんどないリテラシーが低い人間でも、回線をつないでパソコンをつければ、ネットという媒体で世界と情報を共有できて、コミュニケーションも取れる。
でもそれは、世界や誰かと繋がる行為だと言えるのか?
じゃあ、面と向かって話して友情や愛情の絆を築けば、それは確かな繋がりなのか?
家族や親類、血の繋がりこそ確かなものなのか?

ホントはつながってないよ。人間なんて。

生きている限り終らない孤独。
そしてこの『回路』では、死後の世界の住人がこう呟く。
「死は永遠の孤独」だと。
そしてこう宣言する。
「私は幻ではない」

終盤の工場で川島が対決するあの幽霊は「死」そのものを象徴しているように思える。

作中で提示される恐怖・・・生者の成れの果てである黒い染みも、崩壊した世界も、物語が進むにつれ、それらに対する違和感は徐々に薄らいでくる。ただただ悲しくそこにある。もし風が吹けば、消えてしまいそうに儚く。

しかし、終らないからこそ、空しいからこそ、逆説的に浮かび上がる希望もある。
死者に侵略され、生と死の境が瓦解した世界の中で、ミチと川島は、生き残った人々と共に船出する。
『ゾンビ』で、生き残ったピーターとフランが、死者の蠢くショッピングセンターを後に、朝焼けの空に飛び立ったように。


ラストの仄かな希望に関しては、加藤晴彦の存在感による功績がとりわけ大きいと思う。
俳優としての他の出演作品を見たことがないので、あくまで推測になるが、かなり自然体で演じていると思う。
その自然さ、誤解を恐れず言えば彼自身のノリの軽さや能天気さが、もうひとりの主人公であるミチの直情的ながらも優しい気性とともに、観る者を安心させてくれる。
他人を助けたいと思う気持ちや優しさ、それだけが、孤独という永遠の闇の中でゆらめくただひとつの希望ではないのか。

もちろん、作中でミチの勤める園芸店の社長が言うように、善意がかえって人を傷つけてしまうこともあるし、自分では純粋だと思っている優しさも、突き詰めればエゴや偽りの側面も含んでいることも少なくない。

でも、死なないでいる限りは生きていくしかないのだ。虚しさを抱えて。


誰かとわずかに共鳴できることを
なんとか見つけ出して
かろうじて繋がる

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春江が「私、ひとりじゃない」と抱きしめた幽霊は、モニター越しのもう一人の自分だったのだろうか。
それこそが、本作の本当の恐怖かもしれないのに。


・・・個人的な思い入れが強くなってしまったせいで、長々と断定的な表現で書いてきてしまいましたが、前述したようにこの作品、はっきりと説明されていない、ぼかされている箇所が非常に多い。
このぼかし方が本当に絶妙で・・・何度も見返したくなるし、誰かと語りたくなる気持ちが掻き立てられる、職人芸的な演出と脚本に仕上がっていると思います。

最近、本当にこういう「孤独」を描いた作品に惹かれる傾向が個人的にあって・・・病んでんのかなぁ。オレ。

あと全然関係ないけど、川島の部屋のパソコン横にグランディア(セガ版)があってテンション上がったw
これだけで川島に感情移入しちゃったぐらいw
2001年の映画ということはPS版出てるのに・・・あえてセガ版ってところに惚れたぜ。

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クロサキ

Author:クロサキ
クロサキといいます。以前はmorganeと名乗っておりました。
なんてこたーない自堕落な日常を綴っています。
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鑑賞メーターや読書メーターもやっています。

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