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新世界より


新世界より 上新世界より 上
(2008/01/24)
貴志 祐介

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新世界より 下新世界より 下
(2008/01/24)
貴志 祐介

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先日、遅まきながら読了。
貴志祐介さんによる書き下ろし長編作品というだけで期待は鰻登りでしたが、やはり傑作でした。
近々アニメ化されるそうですが・・・うーむ。

書き下ろし千枚に及ぶ大部の作品で、人類が「呪力」(念動力)という絶対的な力を手にした1000年後の未来世界を舞台とするSF小説。
第29回「日本SF大賞」受賞作だそうです。

・・・私、SFというジャンル自体は大好きなのですが、理系コンプレックスが邪魔をして、語るとなると本当に疎く、実はそんなに数も読んでおりません。でもそんな私から見ても、過去の受賞歴は壮観の一言ですね。
おお!『サラマンダー殲滅』に『蒲生邸事件』もあるよ。どっちも学生に時に読んで歓喜した思い出の作品なので嬉しい。
優れたSFであれば芸術・メディアの種類に関係なく受賞できるというのも素晴らしい。

で、いきなりハナシが逸れた上に、wikipediaばりの概要から始めましたが、以下、いつも通りの脈絡のないレビューというか感想です。 今作の根底を流れるテーマとして、『黒い家』と『天使の囀り』でも描かれていた、人間の持つ凶暴な性質や精神の不安定さ、ひいては「人間の業」に対して、作中の様々な要素と出来事を通し、多角的なアプローチで検証を行っているように思える。
人間と類人猿との比較は、SF映画の名作『2001年 宇宙の旅』や、現代に対する警鐘・暗喩で満ちていた『猿の惑星』でも行われていた。

1000年後の日本を舞台にしたディストピア小説で、前述の通りSFなのですが、実際はジャンル分けするのが難しいほど、様々な要素・作者の嗜好が詰め込まれている。
SFとしての先見性を基に、作中の世界観はハイ・ファンタジーと銘打っても問題がないほどに作り込まれており、主人公の少年少女達が活躍する様は冒険・ジュブナイル、隠された謎が徐々に解き明かされていく構造はミステリーとサスペンス、そして要所要所の味付けはホラー。すべてが渾然一体となって、読者に、圧倒的な奥行きで迫ってくる。
三年超のブランクを経て発表されたみたいだけど、それも納得。この作品には、彼自身が過去に描いてきた作品の主な要素が結実したような重みがある。それでいて、読者を選ばずに掴んで離さない圧倒的な筆力とリーダビリティの高さ、ベストセラー作家ならではの貫録に満ち満ちている。
とにかく、未読の方には、「まず読め!」としか書けない。ハイ、いきなりレビューを放棄しました。始まりは少しトロいかもしれないけど、序盤のある出来事に対面したら、そこからはもうノンストップ。寝食を忘れて読み耽るはず。
宮部みゆきの『模倣犯』、小野不由美の『屍鬼』など、比類なき実力を持つ作家の情熱が大部の作品として結実した時、その作品を読み終えて読者ができることは一つ、放心である。

(・・・あえてケチをつけるとすれば、キャラクターの魅力の足らなさも、過去の作品から引き継いでしまっていることか。作品を構成する他の要素が素晴らしすぎるので、相対的に感じてしまう部分もあるのだろうけど。私が読了済みの彼の作品は『黒い家』『天使の囀り』『クリムゾンの迷宮』で、いずれも傑作だと思っているけど、登場人物に関して言えば、一部を除いて、主人公の名前すら思い出せない。)


ここから(やっと)内容に触れていきますので、未読の方は絶対に読まないよーに!

ブログでなり、リアルでなり、私を多少なりとも知ってくれている人で、なおかつこの作品を読んでいる人には、予想がついていることかもしれませんが、読んでいる最中ずっと、「あーあ、神栖66町の住人全員死ねばいいのに」と思っていました(^_^;)
これはあのオチに関係なく、作中の謎が明かされる以前の序盤の段階からです。えへ。

作中の人間たち・・・神栖66町の住人達は、まさに、私が嫌悪している「愚かな人間」像を体現しています。
愛や善意を標榜しながら、その実、絶対的な力を拠り所に「神」を驕り、その癖、臆病で、自分で考え行動することはほとんどせずに、周りの小さな世界に閉じこもり、それを脅かす他者は問答無用に排斥する。それらをいかにもな理屈で塗り固め、正当化することも忘れない。もちろん、それらの言葉は、後ろめたさを覆い隠す詭弁以外のなにものでもない。
驕りきった凶暴で臆病な自分を心の中では自覚していながら、互いにそれを責めることは決してない、大多数の「善良で正しい市民達」。
1000年後の未来で、「呪力」という絶対の力を持ち、万能な社会と環境を築き上げながらも、本質は全く変わっていない。
いや、それどころか、それらを開発・維持していることで、その悪性は凝縮され、表面上は美しくとも、これ以上ない醜さが、ふたとした時に見え隠れしている。
町長が、バケネズミを「面従腹背」と評しておきながら、彼らが反乱を起こせば「何故だ!よくしてやったのに、恩知らずめ!」と憤る町。
彼等がバケネズミを信用できないのは、彼らが人間と違う獣だからではなく、自分たちが彼らに対して行っている行為を、本当は心のどこかで、後ろめたく思っているからだ。
いや、町の管理下で生まれ育った大多数の子供たち、呪力を持つ自らを神と疑わない大人たちは、そういった認識すら根元から存在していないのか。どちらにしろ、救いようもなく愚かだ。


「なぜ、人間に反逆しようとしたの?」
「我々は、あなたがたの奴隷ではないからだ」
「奴隷って、どういうことだ?たしかに、貢物や役務の提供は求めたかもしれないが、お前たちには、完全な自治を認めていたじゃないか?」
「ご主人様のご機嫌が麗しいときはね。しかし、いったん、些細な理由で逆鱗に触れれば、たちまち、コロニーごと消滅させられる運命です。奴隷より悪いかもしれない」


「スクィーラ、あなたに、ひとつだけ、頼みたいことがあるの。あなたが殺した人たち全員に対して、心の底から謝罪して」
「いいですとも。その前にあなたがたが謝罪してくれればね。あなたがたが、何の良心も呵責もなく、虫けらのように捻り潰した、我が同胞全員に対して」


未来世界とクリーチャー描写の魅力や素晴らしさそれ自体は別として、人間の持つ業や愚かさが気持ち悪くて、そして何より腹立たしくて仕方なかった。読者という第三者の目線で好き勝手こういった文章を書いている自分もまた、同じ穴の狢に過ぎないから。

「我々は、淀みに浮かぶ泡沫のように、、不安定な立場です。そこから脱したいと願うのは、当然のことではないですか?


なので、自分の感情移入の先は自然とバケネズミに向かっていた。
五章の「劫火」での、バケネズミによる人間の大殺戮!
スプラッター描写やバケネズミのミュータント登場に歓喜する個人的な変態嗜好は抜きにしても「自業自得だろ。ていうかもっとやれ」としか思えなかった。

だからといって、バケネズミという種族自体に好感を持ったかというと、それはちょっと違う。醜い容姿はともかく、彼らの生態や文化に関しては、自分も、人間という種族として、異種族に対する敬遠もしくは嫌悪というものは、厳然としてある。
バケネズミ独自の文化を別にしても・・・彼らの中でも特に高い知性と能力を持っているであろう奇狼丸とスクィーラにして、バケネズミの起源に違わず、根っこは、愚かな人間と変わらない。
奇狼丸はスクィーラを「口先三寸の外道」「二枚舌」「権勢欲の虜」と散々貶し、スクィーラの方は「旧弊な思想に凝り固まった爺い」と奇狼丸を罵っていますが、どちらの評も間違ってはいないと思う。

作中の、「人間」、「バケネズミ」、そして読者である「現代人」。
いずれも、少しでも視点を変えて見れば、人間の業を象徴している映し鏡。
誰が特別で、誰が誰より利口というわけじゃない。

けれど、だからこそ、その中で、己の肉体と知恵を駆使して自らの信じるものを貫き通した、スクィーラと奇狼丸の二人は、最高にかっこいい。

私たちは、人間だ!


スクィーラのあの叫びは、「バケネズミの起源は呪力を使えなかった人間」という、ラストに明かされる設定に関係なく、まばゆいほどに輝いていた。
この二者に比べたら、神栖66町の住人なんて、はっきりいってゴミ。
もし自分があの裁判の場にいたら、集まっている人間全員、彼らがバケネズミにしたように、頭をスイカみたいにフッ飛ばしていただろう。『スキャナーズ』みたいに。いや、愧死機構があるだろうから実際はできないけど。
人間だろうとバケネズミだろうと、種族に関係なく、この世に産み落とされた知性ある生物として、彼らには、個人的な賞賛と尊敬を惜しむことができない。

ところで、こういったことを考えていくと、かえすもがえすも、その存在意義に疑問が沸くキャラクターがいる。誰のことかというとつまり、覚とは何だったのか。
個人的な好みでいえば、好きでも嫌いでもないキャラ。だからといって、作中、キャラ付けがされていないわけではない。けど、メインキャラとしての、物語的な立ち位置や役割に関しては、個人的にはイマイチ不明だなぁというのが本音。
子供時代の早季の評としては、皮肉屋で見栄っ張りだけど、根は優しい・・・うん、まぁその通りで、年頃の男の子としてはありがちというか、むしろ微笑ましい性格だとは思うのですが、問題なのは、作中の数々の危機や冒険を通してもなお、最後まで成長が見られなかったこと。
もちろん、青年期では、彼のその鍛え抜かれた呪力の技能や、頭の良さを生かした判断力や行動力があったからこそ、ほぼ全編を通して早季を助け、共に最後まで生き延びることができたわけですが、精神面では序盤の子供時代と何ら変わってないように思える。
終盤の悪鬼との攻防戦において、奇狼丸が早季と覚に多大なリスクをもたらす作戦を提案し、覚がそれに反発した際に、奇狼丸にはっきりと『あなたの言っていることは、まるで、駄々っ子です』言われているけれど、まさにズバリの覚評。
戦いが終わってスクィーラと対面した時も、バケネズミである奇狼丸にあれだけ助けられ、雀蜂コロニーでさえ好機さえあれば人間に牙を向こうとしていたこともしっかりと聞いておきながら、人間>バケネズミという考えが些かも揺らいでおらず、「神」として冷然とした態度を見せる。
もちろん、自分の大切な人達が殺された元凶であるスクィーラに対して慈愛の精神を持て。というのは、作中の流れとしてもキャラクターの感情の変遷としても、不自然だとは思うけど、彼らが人間にどんな扱いを受けて何を思っているのかを聞いてなお、この傲慢な態度・・・
この、彼が見せる、二者に対する反感は、作戦なり革命なりの言いだしっぺや発案者が手を汚さないのが気に入らない。という正義漢として見ることもできるけど、どちらの場合も根本にあるのは、バケネズミに対する不信感と侮り。それじゃ神栖66町の住人たちと変わらない。町で育った子供から当然といえばそうなのですが、それじゃあ、彼が作中で見せる情の厚さや自己犠牲の精神も、結局、町の教育の賜物に過ぎないんじゃないかと疑いたくなってくる。
それの何がいけないんだといわれると、明確に返答することはできないし、スクィーラの裁判がきっかけで、バケネズミは元は人間だったという隠された真実を解き明かしたのは、彼というのも事実。
でも、ほぼ全編を通して、主人公である早季と行動を共にし数々の修羅場と感情を共有しながら見事に生き残り、最後にはパートナーとなったキャラクターとして見ると、早季と違って内面の成長がほとんど見られず、なんだか腑に落ちない・・・というか情けない。

覚のラスト周辺のセリフ
『要は、僕らが、バケネズミたちを同胞として認識できるかどうかだ』
・・・バケネズミが元人間ではなく単なる異類であったなら(この例えが、この作品において意味があるかどうかは置いといて)、彼らを平気で殺したことへの反省はなかったんでしょうか覚君。
『呪力は、宇宙の根源に迫る神の力なんだよ。人間は、長い進化を経た末に、ようやくこの高みに達したんだ。最初は、たしかに、身の丈にそぐわない力だったかもしれない。でも、最近になって、やっと、この力と共存できるようになってきたんだ』
・・・あなたに言われても本当に楽観的にしか聞こえない。 

どちらのセリフも、彼の成長具合によっては、作中で至高の名言として響いたであろう言葉なだけに、残念で仕方がない。
・・・・なんだか不満を長々書いてきたようになっているけれど、これは作品の疵ではなく、私が読者として、作者の掌の上で見事に弄ばれている証拠です。

今作を読んで、貴志祐介さんに対する思いはますます強くなった。作家・エンターテイナーとしての力量はもちろん、その嗜好に。
ツチボタルを松明代わりにするなんて・・・そんな着眼点と嗜好の持ち主は世界広しといえども貴志さんだけでしょう。ハラショー(素晴らしい)!
あ、アニメ化に際しましては、作中のキャンプでの、早季と瞬のカヌーのシーンと、神栖66町においての「愛の社会」の実践をしっかりと且つ濃密に描くこと。ストーリー的にどこまでやるのかは知らないけど、東京地下大冒険を、原作者の意向と嗜好を最大限に汲み取り、スタッフ一丸となって命がけで描くこと。これだけやってくれたら、絶対ケチはつけません。もう何も言わない。人間ドラマなんてカットしてもらって構わない。HDに全話録画のうえ、BD買いますんで。そこんところ宜しくお願いします。

このときのバケネズミの視線は、すばるとは違ってひどく不愉快だった。わたしたちの行為の意味を理解しているだけでなく 下等な脳に宿る卑猥で陋劣な妄想の色眼鏡を通して、涎を垂らさんばかりの表情で見入っているのだ。

↑これ、自分のこと書かれてるみたいで、ビビりました(^_^;) げへへ・・・

それにしても、やはりラストの一文。強い共感を抱かずにはいられない。
私も、日々そう思いながら暮らしている「人間」なので。
人間の持つ、最高最強の武器。しかし諸刃の剣。
けれど、まぎれもない、いたわりの源。

想像力こそが、すべてを変える
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この記事へのコメント

- 0 - 2012年10月01日 09:05:04

的外れな批評だな

Re: タイトルなし - morgane - 2012年10月01日 14:56:26

コメントありがとうございます。
よろしければ、どの辺りが的外れと感じたのかご教示いただけましたら幸いです。

- 0 - 2012年10月17日 20:27:28

初めまして
もう自分が書いたかのような書評でびっくりしました
この作品の人間側には感情移入どころか、嫌悪すら感じられ
逆に奴隷とされているバケネズミ達に同情と憐憫が芽生える始末

最初から最後まで、私はスクィーラが嫌いになれませんでした むしろ描写がない分彼の心中を妄想してバケネズミ寄りになり、作中でかなり好きな登場人物となりました
彼も彼の正義で戦い、同胞を救おうとしたまさに英雄だったのでしょうね
スクィーラの「私たちは、人間だ!」という叫びに震えが走り、
安楽死した場面には涙が出そうになりました

人間が絶対の正義でもなく、ましてや正しい訳でもなく、
いつぞやのバケネズミの残党が言った「悪鬼はお前たちの方だ!」という台詞そのものなのでしょう
でも読み手の自分も人間ということで複雑な気分なるのも、すべて作者の思惑通りなのだと思うと、この作者がますます好きになりましたよ
そして最後の一文は、私も最もだと思います

書評を読んで思わず長文感想を書き込んでしまって申し訳ありませんでした それでは失礼致します

Re: タイトルなし - morgane - 2012年10月24日 04:58:26

はじめまして。コメントありがとうございます。
同調のコメントをいただき、感激です!
にも関わらず、返事が遅れてしまって、大変申し訳ありません。

スクィーラは今作で一番輝いているキャラクターだと思います。今でも大好きですね。彼に並ぶとしたら奇狼丸か瞬くらいじゃないでしょうか。
「バケネズミとは実は・・・」という種明かしに関係なく、バケネズミ達はかっこよかったし。人間は傲慢で愚かでした。
醜い容姿と全体主義的な生態を持つ彼らよりも、自らの残虐性や驕りを自覚していない人間たちのほうが遥かに醜く不気味に映ったんですよね。
コロニーや女王に帰する従属的な順風美俗か、偽善に満ちた管理社会かの違いもあるとは思いますが。
もちろん奇狼丸が危惧していた通り、スクィーラが勝利したらしたで、「自由」の名のもとに、退廃的・独裁的な新たな秩序が始まる可能性もあるのですが、読者も含めた、三者三様の合わせ鏡である以上、実存主義的な価値観や目線で応援してしまうんですよね。
この辺り、現在放送中のアニメではどう描くのか、とても気になっています。
原作に忠実に映像化でもいいのですが、それだとまた人間たちにムカついてしょうがないので、変更もありかも(笑)

返事が遅れてしまい、重ねて申し訳ありません。
更新の遅いブログですが、是非また遊びに来てください。

- 0 - 2013年04月03日 14:08:47

何ヶ月も前のブログにとやかく言う自分もどうかしてるけど。

的外れってわけじゃないけど相当酷い書評ですね。

ゴミ、とか殺す、とか。汚い言葉で言いまくってますけど^^;;

そういう66町の人間がいたからこそ、バケネズミの残酷さや無念などが感じ取れるのでは。
もちろんこのブログを第三者の目から見たただの書評として受け取って私はこれを書いていますが。

そういった世界観を構築するための重要なキーをあっけなく否定してしまうのもいかがなものかと。
彼ら呪力を使える人間が残酷非道な描写で描かれていなければ、錠前であるバケネズミは扉ごとその存在感が希薄になってしまうように思ってので…。



Re: タイトルなし - morgane - 2013年04月03日 18:15:21

コメントありがとうございます。
いえいえ、いつの記事でもコメントは歓迎しています。

汚い言葉選びにお気を悪くされたのでしたら、謝罪いたします。
ただ、褒められた表現ではないにせよ、この記事の内容は、作品を読了したあとの私の素直な感想ですので、訂正する気はありません。これから更新するにあたっても、変わりはないと思います。
こんな管理人ですので「ダメだコイツ」と思ったらどうぞブラウザをお閉じになってください。

ただ、人の書いた文章を「酷い」と貶す前に、もう一度よく目を通し、ご自身のコメントも推敲いただきたいと、僭越ながらお願い申し上げます。

そういう66町の人間がいたからこそ、バケネズミの残酷さや無念などが感じ取れるのでは。
彼ら呪力を使える人間が残酷非道な描写で描かれていなければ、錠前であるバケネズミは扉ごとその存在感が希薄になってしまうように思ってので…。

その通りだと思います。人間の業や残虐さを強調し、他種族への感情移入を促すという作劇の手法ですね。


そういった世界観を構築するための重要なキーをあっけなく否定してしまうのもいかがなものかと。

私は神栖66町の住人たちを「登場人物として好きになれない・嫌い」と書いているだけで、イコール「物語と世界観にとって必要ない存在」とは書いていないし、思ってもいません。
また、個人的な好き嫌いの問題としてみても「嫌いだけど、彼らの全てを否定することはできない」といった文面で記事を書いています。

記事中の該当箇所を抜粋すると、

「人間の持つ業や愚かさが気持ち悪くて、そして何より腹立たしくて仕方なかった。読者という第三者の目線で好き勝手こういった文章を書いている自分もまた、同じ穴の狢に過ぎないから。」
「作中の、「人間」、「バケネズミ」、そして読者である「現代人」。
いずれも、少しでも視点を変えて見れば、人間の業を象徴している映し鏡。
誰が特別で、誰が誰より利口というわけじゃない。」


の辺りですね。

さらに、

「これは作品の疵ではなく、私が読者として、作者の掌の上で見事に弄ばれている証拠です。」

と書いているとおり、私はこの作品を読んでいる最中、一喜一憂して非常に楽しんでいましたが、客観的な目線も持ち合わせていたつもりです。
でも、作品を読んでいる時のイラつきや爽快感が作者の計算によるものだと解ってはいても、物語に引きずり込まれてしまう。それが優れた小説および芸術ではないでしょうか。

私はあまり自分の書いた文章や評に自信が持てるタイプではなく、文章力に関する技術的な裏付けもないので、自分で「優れた書評」と認識しているわけではないですし、コメントをいただけること自体は嬉しいのですが、今回いただいたコメントに関しては、失礼ですが、読み込み不足による誤読、および的外れの批判かと思います。
(ただ、上記の通り謝罪いたしました、暴力的な言葉選びに関しては、お詫びするしかありません。)

以上の点を踏まえたうえで、私の書評が「相当酷い」たる箇所や論拠がございましたら、また遠慮なくコメントをお寄せください。
ただ、もし「相当酷い」ほどではなかったと思われましたら、謝罪をいただけると大変気持ち良く思います。
それでは。

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プロフィール

クロサキ

Author:クロサキ
クロサキといいます。以前はmorganeと名乗っておりました。
なんてこたーない自堕落な日常を綴っています。
どうぞお気軽に閲覧、コメントなど。

鑑賞メーターや読書メーターもやっています。

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