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『聲の形』に思う、自分が「許せない」もの


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先日、映画版『聲の形』を観まして、原作漫画を読み返していました。
映画はたいへんよくできていて、とても良い意味で「別物」になっていたと思います。
山田尚子監督の繊細すぎるぐらい繊細な演出の数々、全7巻ある漫画を2時間にまとめ上げた吉田玲子さんの脚本の凄さ、声優陣の熱演……
(それと、自分は恥ずかしながらほとんど気づかなかったのですが音楽の演出もとても細かいらしいので、もっかい見返したいですね)

そして何より!

結弦が超可愛かった

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作画:京アニ CV:悠木碧 というトンでもないジェノサイダーです。
というか悠木碧さんて、ここまで低い声も使いこなせるんですね。
『マイメロ』の琴ちゃん、『紅』の紫、『まどマギ』のまどかを十代で演じ切っていた時点で「この子は天才だ!」と思っていましたが、早熟に終わらず順調にベテランの道を歩んでいるようで何よりです。

閑話休題(いやホントなら、結弦の画像だけ貼ってこの記事を終わらせたいのは山々なんですけども)、

漫画版も読み返して「やっぱりよく出来た作品だなぁ」と改めて思ったのですが、初めて読んだ時のモヤモヤが再燃もしまして、そのモヤモヤをブログにでも書いて晴らしておくか。と思った次第です。

この『聲の形』という作品に触れて「モヤモヤ」を覚えるのは自分だけじゃないと思います。
扱っている題材が生々しいうえに登場人物たちも一筋縄ではいかないメンツが揃っているので、不快な描写や嫌いなキャラクターが、受け手によって異なってくる作品でしょう。
受け手がそれぞれ歩んできた人生や持っている価値観を引き合いに出して語らざるを得ないというか……
そんな作品を少年誌という媒体で成功させてしまった。それが漫画『聲の形』が優れている点であり、問題作であるゆえんだと思います。

じゃあ、管理人の嫌いなキャラは誰なのか?

自分がこの作品で「嫌い」なキャラは植野直花です。
以下、なぜ自分が彼女のことを「嫌い」なのか、順を追って探っていこうと思います。

以下、漫画版の終盤の展開に触れています


単行本4巻に収録されている観覧車のシーンで、自分は植野に対する不快感と違和感を覚えた。
石田に「西宮に小学校時代のいじめを謝罪しろ」と言われた植野が、西宮と二人きりになってその胸の内を明かす――というシークエンスである。

そのときの植野の主張をざっくり書くと、

「小学校の時、私はあなたへの理解が足りてなかった。でもあなたも私を理解しようとしなかった」
「悪口や陰口は『私たちに関わらないで』というメッセージ」
「あなたは大人たちを使ってやり返して、石田は友達を失って私も傷ついた。これっておあいこだと思わない?」
「あの頃はお互い必死だったからそれでいいと思う。謝ってしまったら過去の自分を否定することになるし」
「私は今もあんたが嫌い」
「こうやって私がすべてを吐き出して、こんなにも敵意をむきだしにしているのに、他にいうことはないの?」
「あんたキツいことがあるとヘラヘラしてすぐ逃げる。そのほうがラクだから。私はそれがムカつく」
「あんたは今も昔も、私と話す気がないのよ!」

という感じである。

これらの主張は、確かに一理ある。
小学校時代、植野が誰よりも硝子の世話を焼いていたのは事実だし、硝子の行いによって授業が停滞しその責任や被害を植野がいちばん被っていたのも事実。
硝子自身が後に植野への手紙で明かしている通り、硝子のコミュニケーション方法が歪であったこともまた事実である。
つまり植野の主張は、今もなお自身の内面に篭りがちな硝子にとって必要な言葉だったと言えるだろう。これも手紙に書いてあったとおり、硝子も自覚し、感謝さえしている。

これらの点で以て植野を「口は悪いが言いたいことをはっきりと言うことができる堂々としたキャラクター」と見る向きもあるようだ。

しかし、その評価は間違いである。

一見筋の通った植野の主張にはすっぽり抜け落ちている点がある。
それは、硝子に対する想像力だ。

聴覚に障害があることで経験してきたであろう苦難、硝子が筆談ノートで会話しようとする理由、硝子がいつもどっちつかずな態度をとっている理由。
そしてなにより、ノートに悪口を書かれ、補聴器を壊され、からかわれ続けた、いじめという行為によって硝子が受けた心の痛み……

もちろん、当時小学生である植野に、硝子の内面を察せよ。というのは酷な話だろう。
現在においても、硝子の内面がわからないからこそ「私がこんなに敵意をむきだしにしているのに他に言うことないの?」と発破をかけたのだとも言える。
しかし、小学校から数年経ち高校生になった今もなお、硝子が受けたひどいいじめの数々を目の前にし、ときには加担もしていた過去を持ちながら「あおいこ」と言い放てるというのは、はっきり言って異常だと、自分は思った。
しかも植野は佐原を登校拒否に追い込んでいる。それは植野の主張する「あおいこ」≒「目には目を 歯には歯を」的な行動原理では説明できない。
ここが、自分が読んでいて不快感を覚えた点である。
そして前述のとおり、同時に違和感も覚えた。
植野は感情が欠落しているサイコパスではない。むしろ人一倍情の強いキャラクターである。頭だって悪くない。なのにどうして、こんなに人の気持ちを無視できるのだろう?
要は筆者は「植野は自分のことしか考えていない」という印象を持ったわけだが、頭の良い人間がこういった状態に陥っているときは、自分の中にある何かを偽っている場合が多い。
実際、それは当たっていた。単行本6巻で明かされたとおり、植野は「すべてを吐き出して」はいなかったのだ。

植野がいじめを行うに至った本当のプロセスはこうである。

硝子が転校してきた当初、席の近かった植野はきちんと硝子へのサポートを行っていた。
しかし、耳の聞こえない硝子に合わせるために授業には遅れが出始め、いちいちノートを介するせいで友達づきあいもままならない。しかも、硝子の世話係として、自分ばかりが責められる。
頑張っている自分ばかりが責められる一方で、当の硝子は大人たちに優遇され続ける……
そんなストレスの最中、「手話」という、さらに硝子への配慮がプラスされそうになる状況に植野は「ノートのほうがいい」と反発する。
しかし、その手話の申し出を佐原は受け入れた。そんな佐原を植野は陰口で登校拒否に追い込む。おそらく植野にとってはプライドを傷つけられたと感じたのだろう。
また、これは硝子は知らないことだが、小学校時代、学級会で硝子へのいじめが本格的に問題視されたとき、植野は保身のために石田を売り、いじめの責任をなすりつけている。
その後、今度は島田たちによる石田へのいじめが開始されるわけだが、植野はそこでも保身のためにそのいじめに加担をしてしまう。今もなお石田への好意を持っている植野はそのことに苦しむ。
そんな中、石田の机に書かれた落書きを硝子が消しているところを目撃する。
自分にストレスを与え石田がいじめられるきっかけを作った硝子を認めたくないという気持ちと石田へのいじめに加担してしまっている罪悪感から、植野は硝子のその行為を「あいつは本当は石田のことが好きで、自分も好かれていると思っているからいつもヘラヘラしている。落書きを消しているのはいつか石田に直接アピールをするためだ」と半ば無理矢理自分に思い込ませる。

許せない 
戦ってやる あんたがいなくなるまで
見破ったよ 西宮 
本当のあんたはショーガイを武器にして周りに『性格のいい私』を演出しているハラグロ
ハラグロ!! ハラグロ!! ハラグロ!!


いじめる原因は全部いじめる側の心の中にあるのよ。  〈漫画『7 SEEDS』の7巻より〉



植野は、本当の意味で過去――自分の心の弱さ――と向き合えていない。
同情すべき点はいくつもある。いくら頭が良くて強気に振舞っていても、彼女は十代の女の子に過ぎない。
植野は「私の小学校時代は西宮(硝子)のせいで台無しになった」「西宮は石田のことが好き」というストーリーを仕立てることでしか、自分の心を守れなかったのだ。

翻って硝子の背景はどうだろう?
硝子は昔から「自分のせい」で周りの関係が壊れていくこと、「自分のせい」で家族が虐げられることに強い罪悪感を覚えながら育ってきた。
だからどんなに周囲に辛く当たられても「自分が悪いのだから仕方がない」という加害者意識でがんじがらめになってしまっている。
「自分のせい」で石を投げられる結弦のために小学校で健聴者に溶け込もうとしたものの、「周りと同じように聞こえていない」ということからくる自信の無さと持ち前の加害者意識が邪魔をして結局心を開くことができず、溶け込むための筆談ノートは結果的に、硝子にとってのディスコミュニケーションの象徴となってしまった。
そんな葛藤を抱えていた硝子にとって、自分の抱えている問題を大声で指摘してきた植野には恨みどころか感動を覚えている。ここまで自分に踏み込んできてくれた人間は初めてだから。
加えて言うと、二人には共通点もある。それは互いに「自分が嫌いだ」と思っているところだ。

しかし、二人は通じ合っているようですれ違っていると思う。
植野は硝子の抱えている問題のタネを見抜いて踏み込んでいった。
しかし植野にとってその「問題のタネ」は、自分が組み立てたストーリーを補強するための材料として見出されたものであって、洞察から生まれた気づきとは言い難い。
踏み込みの強さに関しても同様で、植野が硝子にきつく接すれば接するほど硝子自身は植野に感謝するが、その実、植野は頑なに自分を守っているのである。
その証拠と言うべきか、観覧車での植野の言動に感動した硝子が自分の背景と内面を手紙で打ち明けても、植野は「被害者ぶるな」と責めるだけだった(ほとんど間を置かずに、硝子のために石田が入院したという事件が発生したことも大きいだろうが)。
「硝子は石田を好きなハラグロ」というストーリーが内面にある以上、植野は硝子を斟酌することができず、硝子の手紙(内面)を本当の意味で受け取ることができないのである。
だから植野は、自分の組み立てたストーリー(及び自分)を守るために、結果論で硝子を責め、自分を正当化しつづける。
「あんたはいじめで傷ついた」「でもわたしも石田も人間関係が壊れて傷ついた」→だから「おあいこ」
「あんたは勝手に自殺しようとした」「その代わりに私の石田が大怪我した」→だから「あんたは害悪」
自分を救うのに精一杯な彼女は、自分の行いと硝子が被った痛みを照らし合わせることができず、その結果、なによりも欲している石田の心を掴むことができない。そして、自分の過ちに向き合おうとしている石田を救うこともまたできないのである。
結局彼女は、自分で過去に向き合い、自分で気づきを得ることでしか、自分を救えないのだ。

今回『聲の形』を読み返してみて自分がなぜ植野を「嫌い」なのか解った。
それは植野が自分の行為を正当化しているからだ。
(自分の被害を主張するときに、ところどころ「私たち」と主語が複数系になっているところも正当化のポイント)

個人的な哲学として「暴力を正当化したら終わり」という考えを持っている。
例えば、人間は他の生物を殺して喰らわないと生きていけない存在だが(もちろんそれは人間だけではないが)、人間はそこに様々な理由を付ける。
自分は、理由付けをすること自体を否定はしない。知恵ある者なら当然だと思うし、摂理に対して葛藤するのは人間の情だとも思うからだ。
けれど「人間以外の生物は人間のために存在している」とか「殺すことと食べることは違う。食べることは命を引き継ぐことであり残酷な行いではない」という風な正当化には、自分は嫌悪感を覚える。
そこには人間が地球にとっても特別だと思っている傲慢さと、それらしい大義を持ち出し言葉で行為を切り分けて自分の行いから目を背けようとする怯懦があるからだ。
その傲慢さと怯懦が生み出すのは、自分が「白」であるという認識である。
人間の五感や価値観で世界を語り切れない以上、事象というのはあまねくグレーなもののはずだ。もちろん、そこにある程度の線引きをしなければ人間はやっていけないものだが、そこには認識すべき事柄もある。
「白」の側に立っている人間はいくらでも残酷になれる。ということ。
イデオロギーなどの大義名分のもとに立った人間がどれだけ恐ろしいかは歴史が証明している。

大仰な例えが続いて恐縮だが、植野が邪悪な人間だ。と言いたいわけではもちろんない。
植野は本音を伝えることが苦手な普通の女の子だし、大局を見れば、彼女もまたいじめのメカニズムの被害者なのである。

その上で自分は言いたい。
植野は硝子に謝るべきだった。
全面的にではなく、いじめ行為に関して、植野は硝子にきっちりと謝罪をすべきだったと思う。

作品上では石田に詫びるついでに言及するのみで、間接的な謝罪で終わっている。
物語上では自然で説得力のある流れなのだが、自分はどうしてもそこにモヤモヤしてしまうのだ。
「けじめ」という言葉はあまり好きではないし、過去を綺麗に清算できるなんてありえないとは思うけれども、こういった線引きに関してはきちんとすべきだと思う。

「西宮さんさ、あんたって正直ウザったかった。耳が聞こえないからって空気読まないでノート差し出すし、しょっちゅう授業は止めるしさ。しかも、それで私ばっかり怒られてたし。
でもだからって、カゲ口とか悪口言うのは違ったと思う。
それに……学級会の後も、私、あんたのノートに落書きしてた。上グツ汚したのも私。
……あんたが石田の机拭いてるの見て、あんたも石田のことが好きなんだって無理矢理思い込んで、ハラグロだって決めつけて……
正直、私、あんたが嫌い。それは今も昔も変わらない。でも、気持ちの伝え方が間違ってた。
悪口言ったり、上靴汚したりして、ごめん」

という感じで。
まあ作者の大今さんが言う「植野が硝子に謝ることではなく、『私たちって、昔、仲悪かったよね』と、そんな感じで語り合える日が来ることが、植野にとっての、ふたりの関係におけるゴールだと思います。」というのも、物語という点で見れば納得はできるのですけども。



とはいえ、あれだな。身も蓋もないこと言うと、物語だからこういう風に思えるのであって、もし自分が現実にいじめっ子を目の前にしたら「つべこべ言わずに土下座して謝れよ」っていう気持ちしか湧かないだろうなぁ。
でも、いじめを受けた側からしたら「謝罪なんて自己満足。とにかく私の前から消えてくれ」という気持ちになるんだろうか。
もちろん、人それぞれ、受けたいじめの内容それぞれなんだろうとは思うけど。

……劇中で描かれたようなレベルのいじめを自分もしくは自分の大切な人が受けたら「悔い改めるか、それができなきゃ苦しんで死ね」という気持ちになっても不思議じゃないかも……というかそう思うだろうな。

でも一方で、自分の過去の行いを見つめて、反省して自分を恥じ、それを行動に移せる石田のような人は立派だ。とも思うので、そういう人の真摯な謝罪は届いてほしいし、受け入れられてほしいとも思う。

人間って、ややこしいね。

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レビュー

この記事へのコメント

- 通りすがり - 2019年04月11日 18:15:08

あなたの主張にはすっぽり抜け落ちている点がある。
それは、植野に対する想像力だ。
幼馴染達との人間関係を転校生にバラバラに壊された心の痛みを。

硝子は自分の心の弱さ――と向き合えていない、だから自殺なんてことができた。

そしてあなたが立派だという石田、
石田こそ自分の過去の行いを見つめていない。
石田は最後の最後で硝子に謝罪した、だが単行本1巻を読めば分かる通り「すべてを吐き出して」はいなかったのだ。
石田がいじめを行うに至った本当のプロセスはこうである。
硝子が転校してきた当初、石田には宇宙人がやってきたように見えてちょっかいをかける。
やがてそれがエスカレートするにつれ硝子は石田にとって宇宙人からナメクジに昇格する。
石田はナメクジに塩をかけていたぶる愉悦を得る為にいじめを行った。
これが正しい西宮の使い方だ!

植野他クラスメート達の行ったいじめには「硝子から受けるストレスへの反発」という明確な理由があった。
石田にはそれすらないんですね。
そして、なぜかそれを最後まで隠し通す。
「俺がお前をいじめた理由は他のやつらとは一線を画しているんだ、俺にはナメクジに見えていたお前が苦しむのが楽しくて仕方なかったんだ」とは言わず、
ただ改心した反省したという部分だけのアピールを硝子に対しても読者に対しても続けていたのが石田。
石田は邪悪な人間だ。

- クロサキ - 2019年07月23日 22:08:40

まず、コメントの承認および返信が遅れてしまったこと、お詫び申し上げます。申し訳ありませんでした。
Twitterにかまけてブログを放置している関係で、今年に入ってからほとんどコメントもチェックしていなかったのが理由です。
長らく更新ができていないとはいえ、オープンにしている以上チェックはすべきだったと反省しています。

いただいたコメントに関して(作品に手元にないのが心もとないですが)お返事いたします。

「植野に対する想像力」についてですが、私なりに働かせていたつもりです。
記事内でも「植野の主張には一理ある」と書いていますし、彼女が感じている苦しみに関しては他の段落でも文章を割いています。
通りすがりさんほど植野には感情移入できていないのかもしれませんが、彼女なりに苦しんでいたことは私も認識しています。
ただ、彼女なりに「理由」があるからといって、人を傷つけたこと/傷つけることを、正当化してはいけないでしょう。

硝子が「心の弱さに向き合えていない」というご意見に関しては一面正しいと思います。
硝子の葛藤や問題認識のズレについての私の考えは、記事中に書いた通りです。

石田に関してですが、彼はいじめの理由を「隠し通」していたのでしょうか?
動機が無邪気かつシンプルであるがゆえに、謝罪の時にも「俺が悪かった」としか言えなかったのだと思います(もちろん、それで許されるか。周りにも認められるかは別問題ですが。)
小学校時代の石田の行為を擁護するわけでは決してありませんが、「理由」を基にいじめを正当化する行為や心理は、個人的にはより邪悪に思えます。
まあ畢竟、価値観の問題かとは思いますが。

それとあのー……コメントをくださることは大変うれしいのですが、意趣返しとばかりにパロディ的な文体でコメントをされると、正直あまり良い気分はしません。
もしまたコメントをいただけることがあれば、その点の配慮をお願いします。

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プロフィール

クロサキ

Author:クロサキ
以前はmorganeと名乗っていた惰弱。
なんてこたーない自堕落な日常を綴っています。
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