FC2ブログ

尾かしら付き。

無題


ここ数年、クリスマスといえば、当日に「そういや今日だっけ」と思い出してチョコケーキ買って夜1人で家で食うぐらいで、クリスマスプレゼントなんてとんとご無沙汰ですが(甥っ子が2人生まれたので、これからは良くも悪くも意識せざるを得ないだろうけども)、先日クリスマスに買ったこの漫画がたいへんお気に入りになりまして、個人的には最高のプレゼントとなりました。
まあ、セルフなんですけども、佐原ミズ先生に感謝と言うことで。

……なーんてことを、先日クリスマス(購入日翌日)に書いていたんですが、もう30日ですよ。
っていうか、10か月ぶりの更新っすね。

〇陽の光、アサガオ
主人公は女子中学生の那智ちゃん。ソフトボールで屋外練習をしているのに、一人だけちっとも日に焼けないのが悩み。
「肌を黒くしたい」というよりは、周りから浮いてしまっていることにもどかしい気持ちを抱いている。かつ、人気の男子からの告白を断ったことで「那智 変」と言われてしまって、ますます悩ましい気持ちに。
そんななか目についたのが同じ学年の宇津見くん。倒れた植木鉢を人知れず直していたのを見て、好印象を抱いて話しかける。すこし距離を縮める2人だけども、あることがきっかけで宇津見くんの秘密を知ってしまう。宇津見くんには尻尾が生えていたのだ。

那智ちゃんが宇津見くんの尻尾を見つけるシークエンスの中に、陽の光がとてもきれいに差し込んでいるコマがある。単なる「間」にしては印象的だな、と思ったけれども、おそらくこれは、那智ちゃんの抱えている悩みと対照をなしているんだと思う。
「みんなといっしょになりたい」と願って陽を浴びていた那智ちゃんだけど、陽にさらされた宇津見くんの身体には、他者とは決定的に違うものがあった。
(こういった点でみると宇津見くんの名前が「快成」なのも、意味深く思える。漢字違うけど)

〇2人 
宇津見くんの尻尾を見て思わず悲鳴を上げ、逃げてしまい、「怖い」と感じる那智ちゃん。けれどお姉ちゃんとのやりとりの中で「日本人は人に合わせて生きることが得意だし楽。だから周囲との違いに恐怖を感じたり、変化をなかなか受け止められなかったりする」と言う言葉を聞いて、こう聞き返す。「どうしたら怖くなくなる?」
お姉ちゃんはこう返す「那智はどうしてほしい? 日焼けできない体質を皆に理解して欲しい?」
そして那智ちゃんはこう言う「私は、私をちゃんと知ってほしい……」。

次の日、那智ちゃんは宇津見くんを待ち伏せて公園で昨日の事を謝る。もう一度見せてもらった尻尾はブタの尻尾みたいで可愛いと思った。
「私、宇津見くんの尻尾……好き」
このとき、2人はすべり台の上に座っている。周囲から浮いている2人の、2人だけの、ささやかな空間。
アウトサイダー同士のラブストーリーが好きな自分としてはたまらない画でした。
自分、スピッツの『ロビンソン』の中の「誰も触れない 二人だけの国」というフレーズが大好きなので、それを思い出して更にグッときたり。
とはいえ、いっぽうに梯子、もういっぽうにすべり出しがあることを考えると、後の展開を示唆していた気もする。

〇「変」
今作のテーマは「偏見」だと思う。
主人公の那智ちゃんは疎外感を抱いてはいるけれど、友達もいて、家族も健在(家庭の事情はちょっと複雑っぽいけど)。「普通」の子に見える。それでも、周囲の無理解や決めつけなど、集団やコミュニティの圧力を感じて悩んでいる。
いっぽうの宇津見くんは、そういった圧力をより直接的に受け、より鮮明に目にしてきた。
そんな「はぐれ者」の部分が通じたからこそ、2人は親しくなれた。那智ちゃんに投げつけられた「変」という同じ言葉も、宇津見くんが言えばポジティブな意味に変化する。
けれども、周囲の圧力にうんざりしている2人でも、そこから完全に距離を置くことはできない。そのせいで、その他大勢の周囲だけでなく、当人同士でも傷つけあってしまう。
「解らないこと」を恐れ忌避するのは人間の本能。だからこそ「知ってほしい」「知りたい」という気持ちがきっかけになるし、逆に、それをやめれば(「理解することを諦めたら」)偏見は肥大していく。
後半、宇津見くんの秘密が学校中に知られたとき、なんとか留まろうとする宇津見くんとお父さん。しかし事なかれ主義を貫こうとする校長先生に、お父さんは「頭を下げつつ個人の権利を奪うのですね。教育者とは思えませんな」と業を煮やす。
その言葉に自尊心を傷つけられた女性教員がこう言う。
「あなたこそ、理想論ばかりで現実が見えていないのでは? そんなにご子息を見せ者にしたいのですか?」「だってそうでしょう?好奇の目を向ける人はいても、受け入れてくれる人がいるとは思えません」
典型的な、自己肯定もしくは現状維持のための「現実」主義。
まずはそれらしく「合理的」な結論に飛びついて、自分が「物わかりのいい賢い人間」であると認識する。そしてそのことに酔い、時にはすがりつくことで、楽な道を選択する。
こういった価値観の持ち主は狭い意味での弱肉強食論で動いているので、救うのに「非効率」な手間のかかる弱者を進んで救うこともなければ、弱者の立場を思ったり学んだりして自らの偏見を矯正する気もない。
(余談ですが、自分はこういった人たちのことを「自称・現実主義者」「エセリアリスト」と呼んでいます)。
もちろん「知る」ことには常に障害がつきまとう。本作でも那智ちゃんが「もう、ふんだりけったりはイヤだな」「そこまでして私、宇津見くんこと知りたいのかな」と悩むシーンもある。
だからこそ川島くんがしたように、周囲の後押しやアシストが必要なのだと思う。
傷つくことはつらいけれども、そのぶん人は優しくなれる。迫害を繰り返し受けてきた宇津見くんは、シニカルな面もあるけれども、他人を思いやれる優しい子に育った(もちろん『フランケンシュタイン』の怪物のような悲劇につながってしまうこともあるだろうけれども)。

○宇津見家
まだ謎が多い部分なので言及は憚られるけれども、両親には言いたいことあるぞ。
お母さんの立てる騒音に苦情を入れに来ているおばちゃん。キツすぎるというか、言動として不適切なきらいはあるけれども、彼女の言っていることは間違っていない。
だからこそ、宇津見くん(快成くん)は謝ることしかできない。そして、こういったことが繰り返されてきたからこそ、宇津見くんは、お母さんへの疎ましさを那智ちゃんに吐露してしまったんだろう。
そんな中、お父さんが、苦情を入れられてしょぼくれているお母さんに対して「いいんだよ」と言わんばかりの表情で慰めているのを見ると、モヤッとした気持ちになる。
風邪で表に出られないのはしょうがないけど、息子を矢面に立たせといてそりゃねーだろ、父ちゃん。
たぶんだけど、お母さんって、少なくても宇津見くんが生まれてからは、日本で暮らしているわけだよね。つまり十四年間は。
そんだけ現地で暮らしてて、いまだカタコトの日本語しか喋れてないって、お母さん、ちょっと甘やかされているんじゃないか?
いや、自分も日本語しか喋れないから、偉そうに言えることではないんだけどさ。でも「騒音を立てるな」って、家族にも何度も言われているっぽいのに、部屋で繰り返し踊っているのはなんなんだろう? 「お父さんの病気を治さなきゃ」という善意と義務感は解るけど、学習能力が足りてないんじゃないのか? 
いや、お父さんもお母さんも「良い人」であるのは間違いないと思う。もしかしたら後々明かされる事情があるのかもしれない。でも、少なくとも今の時点では、宇津見くんが辛い気持ちを抱えているのは、周りのせいだけじゃないと思った。

〇ボール 
ソフトボールとサッカー。ボールのやり取りを通して、二人の絆は深まっていく。那智ちゃんがグローブに、尻尾のマークを描いたのが更に象徴的だ。

〇バランス 
差別や偏見といった重いテーマと、中学生の初々しい恋愛といった要素が、うまく溶け込んでいるのが素晴らしい。
これは描写もそうだけど、プロットの立て方も大きいと思う。
那智ちゃんが宇津見くんに告白したところで、2話目が終了する。普通の漫画だったら、そこからしばらくは「宇津見くん、良い返事くれるかな」といった色恋事の描写がエピソードの中心になると思うのだけど、この漫画だと、告白の直後に、那智ちゃんの部活の悩みを割り込ませて、その2つは絡めて語られる。
「恋愛」が独立しておらず、アイデンティティーの問題と同列に語られているからこそ、軽薄になっていないのだと思う。
愚痴で申し訳ないんですが、最近の日本の漫画やアニメって、こういうバランス感覚をもっているジャンルものが少なくて、好きになれる作品があまりない。
また「恋愛」に関して付け加えると、プラトニックな雰囲気で進めながら、時折生々しい台詞(「男の欲を満たすため」「あー、触りてぇ」)をちゃんと入れているのも、風通しが良くて自分の好みでした。

〇タイトル 
たぶん、「尻っぽ」から頭まで、丸ごとその人を受け入れること、そしてその慶びを表しているんだと思う。更に言うなら、二人の子供が生まれた事も指し示しているのかもしれない。


冒頭3話と最新話が無料で読めるので、ぜひ。
https://www.tatan.jp/lib/top.php?id=129

ってなわけで、よいお年を~




スポンサーサイト



レビュー

おとうさんとぼく


father&sun

お家にあるおもちゃをねだる男の子。お父さんは頑なに「ダメ!」と撥ねつける。
いつもは元気な男の子も二度三度と言われるうちに泣き出してしまう。
やっとおもちゃを渡すお父さん、男の子は涙を流しながら笑顔を見せる。でもお父さん、まだとってもこわい顔をしてる。
こわい顔のまま、鏡の前にたつお父さん。なんと、しつけ用のムチを取り出して自分のお尻を叩き始めちゃった!
意固地になりすぎたのを反省していたんだね。

こどもをしつけようとするけれど、いつの間にか子供以上に遊びに夢中になってしまうお茶目な「おとうさん」。
やんちゃでいたずら好きだけど、ちょっと泣き虫な「ぼく」。
そんな二人の日常がほとんどコミカルに、ときにはファンタジックに優しく描かれたドイツの漫画作品。1934年12月に新聞で連載が開始された。
非常にシンプルな、しかしヨーロッパならではの味わい深い線。1~2ページの連作短編で、台詞もほとんどないから、本当の意味で読む人を選ばない。絶版になっているのが本当に惜しい名作だ。

どれも本当に味わい深いものばかりだけれど、個人的に特にお気に入りなのは、冒頭に書いた「反省」と、もう一編「プレゼントありがとう」。どちらも、泣きたくなるほどの愛おしさと優しさにあふれた名短編である。また、ほほえましいだけでなくシニカルな話も多い。二人が犬と遊んでいたら通行人が自分も犬と遊ぼうと川にステッキを投げると犬が全く反応しなくて、自分で泳いで取りに行くハメになった「知らないよ」。魚を獲ったものの捌くときになって男の子が泣き出してしまい元の川に放流したらあっという間にほかの魚に食べられてしまった「自然の法則」などなど。ほのぼの系なら、動物たちとクリスマスを過ごす「クリスマス・パーティ」もいい。

4コマで構成された「えもの」も忘れがたい。
森でウサギを発見した男の子は猟銃を持ったお父さんを手招きする――1コマ目。
お父さんがウサギを猟銃で上手いこと仕留めて男の子が喜ぶ――2コマ目。
けれど次の3コマ目では血を流して横たわっているウサギを見下ろしている二人になり、最後のコマでは二人は泣きながらウサギを持ち帰っていく。涙と血が同時に滴る画に何とも言えない気持ちになった。
いつもはいたずら好きな二人が見せる優しさが愛おしい(でも2巻ではわりと普通にギャグテイストで動物殺して食べたりしちゃっているけどもw まあ、当時のことを考えればしょうがないと思う)。

また岩波少年文庫版だと、一巻に収録されている上田真而子さんによるあとがきが素晴らしい。著者の人生に胸を打たれた。
ナチス政権下で愛国心と政権への嫌悪感で板挟みになりながら漫画を描き続けてきたプラウエンの抵抗の軌跡は伝記として語り継がれるべきだと思う。
獄中で自死した彼が妻のマリガルトに遺した「息子――クリスチアンを人間に育ててくれ」という言葉に込められた願いの重さと大切さを、私たちはこの「おとうさんとぼく」で楽しく実感し、美しく思い出すことができる。

騒々しくてお間抜けで、いつも楽しく、ときには涙を流して……「人間」への理想と愛情が込められた芸術として、これからもずっと語り継がれるべき作品である。

レビュー ★★★★☆

『聲の形』に思う、自分が「許せない」もの


51mtm7G32EL.jpg

先日、映画版『聲の形』を観まして、原作漫画を読み返していました。
映画はたいへんよくできていて、とても良い意味で「別物」になっていたと思います。
山田尚子監督の繊細すぎるぐらい繊細な演出の数々、全7巻ある漫画を2時間にまとめ上げた吉田玲子さんの脚本の凄さ、声優陣の熱演……
(それと、自分は恥ずかしながらほとんど気づかなかったのですが音楽の演出もとても細かいらしいので、もっかい見返したいですね)

そして何より!

結弦が超可愛かった

b109dec2dca75a047a7c5c6fec431f3d.jpg

作画:京アニ CV:悠木碧 というトンでもないジェノサイダーです。
というか悠木碧さんて、ここまで低い声も使いこなせるんですね。
『マイメロ』の琴ちゃん、『紅』の紫、『まどマギ』のまどかを十代で演じ切っていた時点で「この子は天才だ!」と思っていましたが、早熟に終わらず順調にベテランの道を歩んでいるようで何よりです。

閑話休題(いやホントなら、結弦の画像だけ貼ってこの記事を終わらせたいのは山々なんですけども)、

漫画版も読み返して「やっぱりよく出来た作品だなぁ」と改めて思ったのですが、初めて読んだ時のモヤモヤが再燃もしまして、そのモヤモヤをブログにでも書いて晴らしておくか。と思った次第です。

この『聲の形』という作品に触れて「モヤモヤ」を覚えるのは自分だけじゃないと思います。
扱っている題材が生々しいうえに登場人物たちも一筋縄ではいかないメンツが揃っているので、不快な描写や嫌いなキャラクターが、受け手によって異なってくる作品でしょう。
受け手がそれぞれ歩んできた人生や持っている価値観を引き合いに出して語らざるを得ないというか……
そんな作品を少年誌という媒体で成功させてしまった。それが漫画『聲の形』が優れている点であり、問題作であるゆえんだと思います。

じゃあ、管理人の嫌いなキャラは誰なのか?

自分がこの作品で「嫌い」なキャラは植野直花です。
以下、なぜ自分が彼女のことを「嫌い」なのか、順を追って探っていこうと思います。

以下、漫画版の終盤の展開に触れています

レビュー

最近読んだ漫画

どれもこれも、実写化している作品です。
ドミーハーです。罵ってください。


「ちはやふる」

81AFUdVqLvL.jpg

今さら読み始めて、大いにハマっております。
雑な例えですが、「少女漫画と少年漫画のハイブリッド」という印象。
競技かるたの面白さと苛烈さを描きつつ、大江さんのような「かるたが歌であることを忘れたくない」と、物事の意味や背景にこだわる想いを持ったキャラクターにも比重を置いている細やかさと多面性がすごく良い。
そういった点を作中で見るにつけ「この作者って大人だなぁ」と、しみじみ思います(良い意味で)。
実写版の評判も高いですが、広瀬すずがちょっと苦手なので(たいへん才能のある女優さんだとは思いますが)、レンタルで鑑賞予定であります。

ちなみにですが、何を隠そう管理人、中学の時に国語の授業でやった百人一首では学年では有数の強さを誇っておりました。
生まれながらの出来の良さ――才能とかセンスとかとは基本無縁の人生を送っている管理人としましては、ちっぽけだけども、思春期の輝きの一つであります。
……とはいえ最近は、当時のことを思い出すと、ちょっと落ち込んでしまう傾向もありまして……
というのも、そういった驕り(大して努力もしてないのにそれなりの強さがある自分への陶酔)を矯正せずヘラヘラしていたせいで、待ちに待った学年総合大会では、その大会でチャンピオンとなるHさんにコテンパンにされてベスト4にさえ残れなかったのですよ。
Hさんが圧倒的に強かった(決勝戦でも余裕で勝ってた)ことは置いとくとしても、自分のだらしなさ、具体的・計画的な努力をしようと思わない意識の低さは、今でも変わらないなぁ……とつくづく情けなくなってしまって……
「ちはやふる」の面々を見習って、少しでも矯正していきたいものです。


「溺れるナイフ」

20151013-oboreruknife_v.jpg

完結から数年、やっと全巻読みました。 これは実写化関係なく読んでいたのですが。
三十路も近いというのに、10代の自意識を描いた漫画に共感しまくっている自分が悲しいやら、でもちょっと愛しいやら(←だからダメなんだよ!)。
ジョージ先生には、ぜひとも竜太のスピンオフを短編で描いていただきたい。作中の男キャラで、絶対一番将来有望だよ!!

で、実写映画のほうは小松奈々が夏芽演じると。
正直、夏芽はもうちょっと派手な顔立ちのイメージだったけど、妥当なキャスティングなんじゃないでしょうか。上白石萌音のカナはピッタリだと思う。


「アイアムアヒーロー」

mig.jpg

18巻まで読みました。
ようやく真相らしいことが明かされてきましたが「GANTZ」と被ってねぇかコレ。

実写版見ましたが、そっちの感想は次の記事で。


レビュー

萩尾望都作品集をゲットしました

いやー、ゴールデンファッキンウィークも過ぎ去りまして……皆さま、いかがお過ごしでしょうか?

世間様ほどではないとはいえ管理人も、職場の人手不足もあって、なかなかに忙しい日々でございましたが、最近やっと落ち着いてきましたです。

そんなわけで、やっとこちら ↓ に落ち着いて取り掛かれそう

hagio k

萩尾望都先生がデビューした1969年から1985年頃までの短編・長編をまとめた作品集です。
赤い装丁のものが第Ⅰ期(1969~1976年)で、グラデーションっぽいのが第Ⅱ期(1977~1985年)となっています。

管理人は恥ずかしながら、漫画はリアルタイムの流行りモノしかこれまで読んだことがなくて、昭和期に活躍された方々の作品にはほとんどノータッチで成人を迎えてしまったのですが……映画もそうですけど、スゴいものはやっぱり、いつ読んでもスゴい。

先月に某オクで手に入れて超ハッピーだったのに、読む時間がほとんど取れないのともったいないのとで、まだ10巻までしか読めていないのですが(泣)

しかしまあデビュー作から、どれもこれも本当にレベルが高い……

萩尾先生との出会いは、先生がキャラクターデザインを手がけたクインテットのゲーム「ガイア幻想紀」(サントラ出して!アーカイブスも!)が最初なのですが、正直その時は「いかにも昔の少女漫画って感じの絵柄だなぁ」ぐらいしか思わず、名前だけおぼろげに覚えていた程度でした(バカだったんです。ごめんなさい)。
しかし、その数年後に読んだ小野不由美先生の「屍鬼」に衝撃を受け、主上が参考作品として挙げていたのがきっかけで単一の作品――「ポーの一族」を読み……完全に圧倒されたわけです。ハイ。

美麗な画とあまりにも緻密な構成。読者の感情を揺さぶり憧憬を起こさせる詩的なモノローグの数々。
作風の幅広さと演出力を支えているであろう、全貌はわからないけれど広く底知れないということだけは伺える教養の深さ……
それらでもって一ページ一ページ繊細なコマ割で埋め尽くすものだから、どの作品も、内容がおそろしく濃ゆい。

管理人が最初に完全に白旗を挙げたのが、「ポーの一族」中で3番目に発表された「グレンスミスの日記」。
20世紀のはじめ(1900年)にドイツの音楽家と駆け落ちしたイギリス貴族の令嬢エリザベスが、二回の大戦によって夫や娘、孫を失い、時の流れと時代の不幸に翻弄されながらも一代を築く。という物語を、永遠に年を取らないバンパネラへの憧憬を交えながら短編として描いている作品なんですが……
これつまり、ある女性の一代記(一生)を、短編で描ききってしまっているわけですよ。それも、たった24ページで!
その内容の濃さと充実度たるや、並みの漫画の単行本5冊分ぐらいの重量感を覚えましたよ。

さらにその後、「グレンスミスの日記」を発表した当時の萩尾先生がまだ23歳だったことを知り、またさらに衝撃を受け……
作者の年齢を引き合いに出すのはあまり好ましくないかもしれませんが、萩尾先生に限っては、年齢に比してあまりにも作品が優れていた。

若さに比して技術も知識もセンスもスゴい作家はどのジャンルにも少数ながら常にいて、そういった人達は「天才」と呼ばれます。
だけど萩尾先生は、その枠にすら収まりきらないと思う。

どれだけの天賦の才――ベテラン並の技術力・幅広い知識・抜群のセンスを持っていたとしても、作者は、自身の年齢に比した感性を超えることは、ふつうできない。
「グレンスミスの日記」だけでなく、20代前半で発表したほかの作品――「ビアンカ」「雪の子」「秋の旅」に関しても言えることだけど、20代の感性で生み出せる作品とは到底思えない。
彼女の教養の深さと、達観し卓越した視点のすごさは、単に「頭がいい」とか「大人びてる」とかいうレベルの言葉では説明できないのです。
だけど、紛れもなく存在している。
それでいて、萩尾先生の作品は、老練という言葉で賞賛するにはあまりにみずみずしい。
そして――このことが一番すごいと思うのですが――どれだけ舞台や題材が国境とジャンルを超えていようとも、それらの内容においてどれだけ深く高尚なものが描かれていようとも、どの作品も紛れもなく「少女漫画」なんです。
そのことの凄さと偉大さ、その存在の奇跡に、自分のような凡夫は、ただただひれ伏すしかない。

さらに恐ろしいことを付け加えると、現在に至るまで現役であらせられる萩尾先生の新作は、なんと「ポーの一族」の新作のようです。
「寄生獣」のスピンオフまで描いてしまって、モー様はいったいどこへ行ってしまうのでしょう?
自分も遅ればせながら、これからせっせとついて行きたいと思います。


目ざめよ神話
ぼくたちは時の夢

昔がたりと未知への畏怖が
ぼくらの苗床
ぼくらの歌

わかっているね
ぼくたちが
なに者かこれから
どこへゆくのか

早く
目をおさまし
早く

永遠を駆ける
馬車が出る


「ポーの一族」の「ペニー・レイン」より抜粋。 レビュー
NEXT≫
プロフィール

クロサキ

Author:クロサキ
以前はmorganeと名乗っていた惰弱。
なんてこたーない自堕落な日常を綴っています。
どうぞお気軽に閲覧、コメントなど。

Relief with water
Amazonでのマイストア。ご来店お待ちしております。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
レビュー
月別アーカイブ
FC2カウンター
つぶやき
リンク
検索フォーム
Amazon検索
RSSリンクの表示
QRコード
QRコード